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- ありがとー日本万歳
皆さん お早う御座います。 高島 まこと です
雨が降ってますね 午前中にはあがる予定ですね~
暖かい冬なのでしょうか・・・
さて
色々なメールがきますが、昨日頂いたメールをご紹介します。
今の日本があるのは先人の力ですね
【御遺書】
海軍少尉・藤田鴨明命
御両親様
本5月11日、鹿児島の鹿屋基地に転進予定の所天候不良の為12日に延期され候。
さらばと別れし士官室に帰れば、御両親様よりの親書と、この大戦局の荘厳なる事実の中に
「我」を見出したる喜びと併せて、特に天下一の幸運児なるを痛感致居候。
筑波以来三ヶ月、苦楽を倶にせし同期の櫻の顔色益々明るく、意自ら通じ明朗且天真爛漫にて幸福なる一瞬を意義あらしめ居候。
而して議を論ぜず将に淡如水、心境如斯次第に御座候。
御両親様、睦重は優しい質素な貞淑なる暢明の妻たる故大事にしてやって被下度候。
父上様、母上様、永い間お世話になりました。
何時迄もいつまでも次の世も亦来る世も父上様、母上様の子にして下さいませ。
では御両親様さやうなら、暢明元気で征きます。
藤田家の隆昌と皆様のご幸福をお祈りします。
昭和20年5月11日
大日本帝国海軍
神風特別攻撃隊筑波隊 第10中隊第2区隊長
海軍少尉 藤田暢明命
身長 1米73糎 体重 18貫 9百匁 胸囲 97糎
藤田少尉は出撃前に東京出身の睦重(むつえ)さんと結婚を望んだが、彼女の両親は娘が未亡人となることが明白なので結婚に反対。
然し、睦重さんが反対を押し切り結婚を望んだ為、ついに両親も折れて結婚を許した。
ところが結婚許可の出た3日後、藤田少尉は神風特攻・第六筑波隊として鹿屋基地から出撃し、不帰の人となった。
睦重さんは藤田少尉の戦死後、彼の実家で彼の遺影と結婚式を挙げた。
戦後は養父の説得に応じて帰京。大学へ進学し最後まで一人の人生を貫かれ、1993年に亡くなられた。