Blogブログ
- 匠は技術は受け継がれる
皆さん お早う御座います 高島 まこと です
久々の雨で空が大分綺麗になりましたね~
さて
初めて見た文章がありました。日本人の魂と技術ですね是非お読み下さい。
【戦艦「大和」は沈みましたがその技術は永遠に滅びない….】
1941年(昭和16年)12月、当時世界最大の戦艦「大和」が竣工。
「戦艦大和」の公試排水量6万8200トン、長さ「263メートル」。
これは「東京駅」の端から端までの長さです。
これに要した鋼鉄の量は、東京から大阪までの鉄道線路と同じ量です。
この船を動かす「15万馬力」の力は、東海道線を走る60車両分の推進力です。
大和1隻建造の建造費は、今の貨幣価値で「1000億円」。
完成するまでに要した延人員は「1500万人」。日本人口の5分の1が従事した計算になります。
日本の国力を傾けた戦艦「大和」の試運転が開始されました。
巨大な「46サンチ砲」の順を追って試射が行われ、最後に全砲塔の全主砲が一列に並んで一斉に試射された時、船はいささかも揺るぐこともありませんでした。
大和が搭載した46センチ三連装主砲は、戦艦搭載の艦砲として世界最大で、装甲は46センチ砲弾を受けても耐え得る強靭性を誇りました。
大和と武蔵が「史上最大・最強の戦艦」であることは紛れもない事実です。
その戦艦「大和」はわが日本の科学技術の結集で、世界でも例の少ない優秀艦でした。
技術というものは一日にして成るものではありません。技術に飛躍的な進歩もあり得ません。
「大和」はそのいい例でした。もし我々の先人の技術がなかったら、大和は存在しません。大和は沈みましたが、その技術は亡びていません。
先人が残してくれた技術。
戦艦大和の造船技術は、現代の造船にも使われている球形船首、船の横揺れを抑制するため、船底の両側の湾曲部に取付けるビルジキールなど多くの技術が生かされています。
もの作り日本の力はこの戦艦大和に現れています。
仮に火星へ行くロケットの設計図があったとしても、それを実際につくれる国はごく僅かです。それを思えば、当時の日本海軍が大和型戦艦を計画・設計し、実際に造り上げたことは、正に日本の素晴らしい力です。
また、ワシントン条約で戦艦新造を禁じられても、日本海軍が「匠の技」の継承を怠らなかったのでした。
日本海軍は「改装」という名目で戦艦をたびたび呉、横須賀、川崎、長崎のドックに入渠(にゅうきょ)させ「実地訓練」を行なうことで工員の技術レベルの低下を防ぎました。
一度で済む工事をわざわざ二度に分けることもあり、当時の戦艦は海に浮かんでいるよりもドックに入っている時間の方が長いような場合があったほどです。
もしワシントン条約を受けて「戦艦を造らない」と決定すると、技術の継承が出来ず、もはや新鋭戦艦を「つくる」ことはできませんでした。
こうした「モノづくりの本質」を理解していたからこそ、日本海軍は史上最大の戦艦を自国で作ることが出来たのです。
その匠の技が今も伝えられているわけです。
この「モノ作り」の精神はわが日本だけです。
中国や韓国は、真似る盗むの精神しかありません。
では 行ってきます
- 最近の投稿
- アーカイブ