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- RCサクセションのラストアルバム『Baby a Go Go』の豊潤と“らしさ”
皆さん お早う御座います 高島 まこと です
雨も上がり 6月議会も再開です~
忌野 清志朗率いるRC SUCCESIONの一番売れたアルバム『Baby a Go Go』記事が
Yahoo!ニュースに出ていましたのでご紹介します・・少し長いですが御一読下さいませ
RCサクセションのアルバム中で最高セールスを記録した19thアルバム『Baby a Go Go』が、6月7日にデラックス・エディションとなって発売された。LP2枚組に加えて(これが初アナログ化!)、最新リマスターCD、さらにはCDサイズだった同梱写真集がLPサイズになって復刻。ジャケットは当時プロモーション限定で配布された幻の14面ギミックジャケットとなっているなど、ファン垂涎のコレクターズアイテムと言える。今週はこのリリースにあわせて、本作を取り上げる。RCのアルバムの中で最も売れたこともよく分かる、今なお古さを感じさせない名盤である。
RCサクセション最後のアルバム
以前、当コーナーで『シングル・マン』を紹介した際、いわゆるブレイク期のRCサクセション(以下RC)の音源はよく聴いたが、遡って聴いた初期のRC(1stアルバム『初期のRCサクセション』、2nd『楽しい夕に』、3rd『シングル・マン』)は、当時お子ちゃまだった筆者にはピンとこなかったと書いた。今回もうひとつ白状する。実は『COVERS』(1988年)以降の作品もあんまり聴けていない。RCの新作が出れば当然のようにチェックしていたので、まったく耳にしなかったということはなかったけれど、リピート率は高くなかった。具体的に言うと、9th『HEART ACE』(1985年)、10th『MARVY』(1988年)、そして、今回紹介する11th『Baby a Go Go』(1990年)である。同時期に出たライヴ盤『the TEARS OF a CLOWN』(1986年)はめちゃくちゃ聴いていた記憶がはっきりとあるので、RC自体に飽きていたわけではないし、RCが自分の好きなバンドの上位にいたことは間違いない。ただ、上記3作品のイメージはしばらくの間、おぼろげなものだった。 理由はいろいろと考えられる。1980年代半ばまでは、まだまだバンドシーンの市場規模は小さかった。そこでの筆頭はRCであっただろうし、YMOもブレイクしていたものの、あとのメジャーどころと言えばサザンオールスターズくらいなもので、大袈裟に言えば一般的にも知名度の高いバンドはそういなかったように思う(マイナーなバンドは無論たくさんいた)。ロックバンドがメインストリームに踊り出たのはその後、1985年のレベッカのブレイクであり、BOØWYのブレイク以降である。また、LAUGHIN’ NOSE、THE WILLARD、有頂天らの出現によるインディーズブームの象徴と言われるNHKで放送された番組『インディーズの襲来』の放送も1985年で、この頃から多様化も進んでいった。要するに、1980年代半ばにはRC以外にも聴くべき音楽が続々と出てきたのである。MTVの隆盛も大きかった。調べたらUSA for Africaの「We Are The World」も1985年だったので、それ以前からMichael Jackson、Madonna、Cynthia Lauperも自然と耳にしていた。小林克也MCの『ベストヒットUSA』もよく分かってないのに分かったような顔をしながら観ていたと思う。1980年代半ば、洋楽邦楽問わず、一気に刺激があふれ出したのだ。 当時の筆者はまだ20歳になったかならないかの頃。我がことながら、移り気なのは仕方がなかったと思う。前述した通り、RCも聴くには聴いていたが、上記のバンドたちも聴いていたし、洋楽ヒット曲もそれなりに聴いていた。先頃、再結成したTHE STREET SLIDERSも好んで聴いていたことも思い出す。新しい音楽もメディアでどんどん紹介されていったし、日々それをチェックするのが大変だったのだろう。10th『MARVY』に関して言うと、その半年後に発売された(というか、いったん発売中止になった)カバーアルバム『COVERS』の衝撃が強くて、割を食ったようなところはある。振り返れば、当時はやはりRCや忌野清志郎のことを、刺激を与えてくれる存在と見ていたのだろう。『COVERS』をよく聴いた分、その前作『MARVY』は早々に過去作になってしまったのである。また、『Baby a Go Go』に関して言えば、その前年に放送が始まってバンドブームを巻き起こした『三宅裕司のいかすバンド天国』の影響があったことは間違いない。1990年は雨後の筍の如く、バンドが世に出てきた。RCを聴いている暇はなかったと言っていいかもしれない。自分もまだ若かった。特に『Baby a Go Go』のようなアコースティックサウンドも少なくないアルバムは畢竟リピートされなかったのは、今思っても当然だったように思う。
丁寧に構築されたアンサンブル
長々と言い訳をしてしまって申し訳ない。そんなわけで、結果的に一時は隅に追いやってしまった『Baby a Go Go』であるが、今、聴いてみると、しみじみといい作品であることを実感するアルバムである。やはり派手さはない。「雨あがりの夜空に」のRCを期待すると、きっと拍子抜けする。“ドカドカうるさいロックンロールバンド”はここにはいないと言っていい。ブルーデイ・ホーンズも参加してないし、ブレイク期のメンバーであるGee2wo(Key)も新井田耕造(Dr)も脱退している(新井田は本作制作中の脱退で、2曲のみ参加している)。元カルメン・マキ&OZの春日博文がドラマーとして加わっているものの、客演はmoonridersの武川雅寛(Vn)のみで、基本的には忌野清志郎(Vo&Gu)、小林和生(Ba)、仲井戸麗市(Gu&Vo)とドラマーでアンサンブルを構築している。必然、シンプルなサウンドにならざるを得なかったとも言える。いや、当時のRCなら、いくらでのミュージシャンを集めることができたはずで、清志郎たちは敢えてそうしなかったというのがおそらく正解だろう。 派手さはないとは言ったが、だからといって地味ではない。豊潤と言ったらいいか。少ない音数ながら丁寧なサウンドメイキングが施されている。驚くほどThe Searchersの「Needles And Pins」(1964年)に似たギターリフを聴かせるM1「I LIKE YOU」は、つまりマージービート。かつて清志郎が“リバプールからキャッチしたナンバー”へのストレートなオマージュだろう。1960年代らしく奥行きを感じさせるドラム。シンプルなベースライン。BメロでのCHABOらしいエレキギター。それぞれがくっきりと音像を残しつつ、折り重なっているのが分かるところが素晴らしい。 M2「ヒロイン」も同様。どちらかと言えば米国寄りな印象もありつつ、M1とは異なるリバプール風味も残したナンバーで、やはりアコギ、エレキ、リズム隊のそれぞれの独立した演奏でアンサンブルを構築している。 M3「あふれる熱い涙」はブルージーなミッドチューンで、M4「June Bride」はリズミカルなポップチューンとタイプは異なるが、いわゆるカントリーミュージックからの派生ということで良かろう。こちらは“ベイエリア”へのオマージュだろうか。RC屈指のミドルバラードと言っていいM3はメロディー、歌詞もさることながら、強固なバンドサウンドによって名曲として成立していると確信するほど。ドラムを叩いているのは新井田でとりわけ力強い印象がある。 M4では間奏でのアコギによる「ウエディングマーチ」もいいし、清志郎の鳴らすウクレレもいい。いい意味で肩の力が抜けているように思えて、リラックスして聴ける。 M5「うぐいす」はCHABO楽曲で歌っているのももちろんCHABO。RCでのCHABO楽曲というと、「チャンスは今夜」「ブルドッグ」、あるいは「打破」など(※註:「打破」はソロ作品『THE仲井戸麗市BOOK』収録だが、『the TEARS OF a CLOWN』にも収録)、激しめの楽曲が多い印象だが、M5はアップテンポでありつつ、上記の楽曲に比べるとエレキギターのエッジーさが薄くなっているところもまた、『Baby a Go Go』の特徴と言えるかもしれない。武川雅寛のバイオリンがいいニュアンスを与えている他、サビでCHABOの声に清志郎のコーラスが重なるのは完全にRCらしさを感じさせる。 一転、M6「Rock’n Roll Showはもう終わりだ」は8ビートのロックンロール。BPMは本作中最速で、1950年代テイストはそれこそ「チャンスは今夜」を彷彿させる。エレキギターも重い。完全にバンドサウンドではある。ただ、音圧がそこまで強くないというか、“ドカドカうるさい”感じはそんなにない。その理由は歌詞から推測できるが、その辺はあとで述べる。 M7「冬の寒い夜」は[忌野が中学時代に作曲した曲]ということだが([]はWikipediaからの引用)、妙なコードが耳に残るし(この辺は作曲した時点からそうだったのだろうか?)、サイケデリックなサウンドメイキングも耳を惹く。RCの多彩ぶり(多才ぶり?)を示した楽曲ということもできるだろうか。M1の2番のコーラスワークにもサイケな感じであるが、その辺はCHABOが指向したという説も聞いた。仮にそうだとしたら、それはそれでとてもバンドらしいことではあったと思う。 M8「空がまた暗くなる」はRCらしいポップなロックンロール。癖も強くないので、清志郎の没後にドラマの主題歌になったというのも十分にうなずける話。これも歌詞に注目だが、それもあとでM6とまとめて──。 M9「Hungry」は本作で最もバンドサウンドが厚めな楽曲と言っても良かろう。リズムはニューオーリンズビート、セカンドライン──というよりも、Bo Diddley由来のジャングルビートだろうか。リズム隊はもちろんのこと、エレキも派手だし、サウンド全体が前に出ているような印象はある。これもまたRCの1950年代へのリスペクトだろう。中盤の歌とエレキギターのユニゾン(?)もバンドっぽくてとてもいい。 そんな派手なM9に続くM10「忠実な犬」は、再びアコースティック基調の落ち着いたサウンドとなる。ドラムもオルガンも入っているけれど、ミドルテンポということも影響してか、圧は強くない。 M11「楽(LARK)」は明るくポップ…と言いたいところだが、歌詞からすると“お気楽な”といったほうがいいかもしれない。バンドサウンドだが、音色、音圧はM10に近い。これもまた肩の力が抜けた印象ではあって、いい意味でスリリングさがないままに、アルバムはフィナーレとなる。 途中、M6やM9などの激しめなナンバーや、M7のような一筋縄ではない楽曲もあるものの、リラックスできるナンバーが前半と後半にあるので、全体的に『Baby a Go Go』は、聴き手に緊張感を強いるようなアルバムではないと言えるだろう。
清志郎らしい歌詞は健在
サウンド面からすると、この時期のRCは落ち着いた…と言うこともできるとは思うが、全体的に見ると決してそうではないと思う。清志郎の歌詞はあんまり落ち着いてない。まずはこれ。 《Rock’n Roll Showは もう終わりだ/Rockなんかには もうアキアキだ/なんだかんだと めんどくさいんだ/ギターを鳴らして歌いたいのに Ah》《Rock’n Roll Showは もう古い/RockのShowなど/どこにでもあるでしょう/あの娘は心を 変えてしまった/おいらは歌を聞かせたいのに《Rock’n Rollは 子供のオモチャ/Rockなんかには つき合っていらんねえ/ビジネスなんか めんどくさいだけ/ギターを鳴らして歌いたいだけ Ah》(M6「Rock’n Roll Showはもう終わりだ」)。 かつて『BLUE』収録の「ロックン・ロール・ショー」で《まるで興奮しちゃうね まるで憧れちゃう》としていたものを《もう終わりだ》《もうアキアキだ》としている。また、『OK』収録「ドカドカうるさいロックンロールバンド」でも《子供だましのモンキービジネス/よってたかってわけまえをあさる》と言っていたが、こちらでは《子供のオモチャ》《ビジネスなんか めんどくさいだけ》と一刀両断にしている。清志郎がどんな想いを込めたのか今となっては知る由もないけれど、冒頭で述べたように、当時はバンドブームの真っ只中。バブルさながらに沸騰しきつつあったシーンを揶揄していたとしても不思議ではない。皮肉であれば、サウンドもあんなふうになろう。さらに、こんな歌詞もある。 《おとなだろ 勇気をだせよ/おとなだろ 笑っていても/暗く曇った この空を/かくすことなどできない》《おとなだろ 勇気をだせよ/おとなだろ 知ってることが/誰にも言えないことばかりじゃ/空がまた 暗くなる》《ああ 子供の頃のように/さあ 勇気をだすのさ/きっと 道に迷わずに/君の家にたどりつけるさ》(M8「空がまた暗くなる」)。 《おとなだろ》と言いながらも《子供の頃のように》と言っているのがおもしろい。『COVERS』の時のようなズバリと何かを指摘するような内容ではないが、そうではないからこそ、汎用性も高く、聴き手はより想像力を働かせることができるようにも思う。続く、M9「Hungry」は以下のような内容。 《かまわないでくれ 腹がへってるんだ/じらさないでくれ 腹がへってるんだ/食えない奴らが踊ってるだけさ》《食いたくネェ 食いたくネェ/食いたくネェ うまくもネェ》《新聞みたいにデタラメな/デマやウワサが踊るころ/テレビみたいに笑いながら/おんなじ時間に出て来てやるさ/歌を作って歌っても/値段をつけて売りとばす》(M9「Hungry」)。 清志郎らしい批評眼が垣間見える。これを目にすると、M6での筆者の分析もあながち間違ってもないように思える。そもそも清志郎はM1「I LIKE YOU」で《そんなに考える事はないさ/初めに感じたままでいいさ》と言っていたから、それでもいいんだろう。話を戻すと、『Baby a Go Go』ではサウンドが比較的シンプルになり、ブレイク期のような激しさはなくなったものの、清志郎は言いたいことを止めることはなかった。それがこうして歌詞をみるとよく分かる。 最後に私見をもうひとつ。本作の翌年1991年1月にRCは無期限活動休止となった。以後、清志郎はCHABOとしょっちゅう共演していたし、ライヴではRCナンバーをやることもあった。[2007年12月8日、日本武道館での『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に、忌野、仲井戸、新井田、厚見によるベースレスという変則的な形態で出演。(中略)2008年2月のライヴ『忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館』にて忌野、仲井戸、新井田、厚見、梅津、片山らの共演が実現。メンバー紹介で忌野が新井田の名前を告げると日本武道館がひときわ大きな歓声に包まれた]ともいう([]はWikipediaからの引用)。清志郎の隣でCHABOがギターを弾いて、新井田耕造がドラムを叩き、ブルーデイ・ホーンズがいるなら、それはもうほとんどRCであるわけで、再結成と言わないまでも、RCを名乗ってもいいのではなかろうか。当時はそんなことを思ったものだ。だけれども、あの時はリンコさんがいなかった。聞けば、『Baby a Go Go』の後、小林“リンコ”和生は音楽活動から引退したという。リンコさんは清志郎とともに最初期からのRCのメンバーである。これもまた勝手な想像でしかないけれど、やはりリンコさん抜きでRCの再結成はなかったのだろう。『Baby a Go Go』のベースはどれもこれもホントに素晴らしい。決して難しいフレーズを弾いているわけではないが、人柄が滲み出ているような、温かみを感じるものばかりである。それらを聴いて、小林“リンコ”和生が背後で支えていたからこそ、清志郎もいろいろと破天荒なことができたのではないかとも想像した。無論、誰が抜けてもRCではなかっただろうが、実はリンコさんが最も欠けてはならないキーマンだったのかもしれない。そんなことも思った。